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2012.03.13 Tuesday

学校の役割

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     学習塾などの受験産業の台頭に伴い,学校への批判が高まっているが,「そうじゃないだろう」と思いながら,何をどう反論したらいいのか分からないでいた。
     ネットの中に,以下のような論文を見つけ,私のもやもやがいっぺんに解消したので転載する。(原文のまま)



    YOMIURI ONLINE    教育×WASEDA ONLINE

    公教育と私教育を区別して論じよ!

    安彦 忠彦/早稲田大学教育・総合科学学術院教授

     第二次世界大戦後の日本では、戦後日本を復興させるために、国民も政府も、憲法と旧教育基本法による新しい日本の国づくりに邁進した。その間は「教育」に対して、社会的に高い価値を置く空気があった。しかし、平成に入って、とくに小泉元首相による義務教育費国庫負担法の改正に始まる教育改革以後、「教育」は単に一般の社会問題の一つとして、あたかも政治や経済と同じように「公私」の区別なく論じられ、「学校教育」は一面的な評価を受けることとなった。実は「教育」には「公私」があるのであり、そのことの重要性に気づいている人は少ない。
     あらためて、「教育」について常識的なことから明確にしておこう。筆者は一昨年、『「教育」の常識・非常識−公教育と私教育をめぐって−』(学文社)を刊行して、最近の教育論議がいかに非常識なものかを論じた。まず「教育」には、先進国と同様、現在の日本では「公教育」と「私教育」の二つがあることを明確に認識する必要がある。「私教育」とは大人が自分や関係する子弟に対して自由に行っているもので、家庭教育・地域社会の教育・企業内教育・塾や予備校などの教育がそれである。「私教育」には吉田松陰の松下村塾のような、時代を越える教育を行える面もある。これらは、人間のどんな社会にも見られる、日常的で非公式のinformal教育である。しかし、近代になって、その一部を国や地方自治体などの公権力が切り取り、国家的な見地から、政治的・経済的・社会的な要請をもとにして、意図的・計画的・組織的な教育を行うようになる。これが「公教育formal education」である。その典型が公立の学校教育であるが、私立学校も、日本では、専門学校などの各種学校は別として、基本的に公立学校に準じている。
     ところで、かつて小泉元首相は、公立学校と予備校・進学塾とを同等・同種のものとして横に並べ、保護者をユーザーと見なしてどちらを選ぶかと問い、予備校や進学塾の教育の方がよいと言わんばかりに、公立学校とその教師をバッシングした。いわゆる「新自由主義」政策として「市場原理による競争」を必要なものとし、「ユーザーの声に従うべきサービス」として「教育」をとらえる見方を政治的に宣伝した。そんな流れの中で、2006年に「高校の未履修問題」が起きたとき、本来の必修教科を教えず、代わりに受験のための教科を秘密裏に教える学校が明るみに出て問題となり、文部科学省は、問題を起こした学校の責任者や教育委員会関係者を呼んでヒアリングをしたことがある。その時、当該の教育委員会・学校関係者の中に、「保護者が求めていたことをやったまでで、どこが悪いのか」と反問する者がいた。まさにユーザーの言うことを聞いただけで、自分たちは悪くないというわけである。しかし、そこで筆者は、「それではあなた方は、保護者が子どもたちに『泥棒の仕方を教えてくれ』と求めてきたら教えるのですか?」と尋ねたら、答えに窮していた。つまり、「公教育」は「私的な」ユーザー主義で行うことはできないということである。
     とくに「公教育」については、々駝韻箸靴萄把禪造龍δ牟詰椶鮖劼匹發某箸防佞韻気擦襪海函↓個々の家庭や保護者の経済的・社会的条件に左右されることなく、子どもの能力を最大限に伸長させるために平等な機会を与えること、この二つがその目的として期待されている。そのために「公教育」においては、保護者や予備校などが行う「私教育」のように、自由勝手な教育を行うことはできない。「公教育」学校はみな、日本の場合、教育基本法、学校教育法、同施行規則、学習指導要領等の法令等によってその活動を制限されている。
     ところが、今や、予備校や進学塾などの「教育産業」が標榜してきた、「私教育」的要請の一つである「大学・高校への進学保障」を、「公教育」学校という「教育機関」にまで求める動きが拡大し、現在では教育委員会までも、高校に対して、予備校と同様な大学進学の目標や実績を保護者に提示させて、あたかもそれが本来の高校の使命であるかのように振る舞わせる傾向にある。高校は、上記´△量榲の下に、「自立への準備」と「個性の伸長」を保障する教育を行うことが求められているのに、ただ「大学への進学準備教育」を優先的に行うことを強いられている。その結果、大学入試には強いけれども、自立への準備も個性の伸長も経験していない、未熟な若者が年々増えてきている。
     早稲田大学の最近の学生を見ていて思うことは、これからの社会には、自立を意識していないため社会的信用が得られず、また自分の能力や個性に自信はないが、生き抜くために表裏のある言動をする小賢しい若者が増えていく気がする。今の日本は、「教育の公私の区別」をつけ、両者のあるべき相互関係を築き直すべき、重大な岐路に立っていると言えよう。


    安彦 忠彦(あびこ・ただひこ)/早稲田大学教育・総合科学学術院教授
    【略歴】
    東京大学教育学部卒業。同大学院を経て、大阪大学、愛知教育大学、名古屋大学に勤務。その間、名古屋大学附属中・高校長、同大学院教育発達科学研究科長兼教育学部長を歴任。カリキュラム学・教育課程論(主に中等)を中心に、教育方法、教育評価を専門とする。第3〜6期中央教育審議会委員。日本カリキュラム学会代表理事、日本教育方法学会理事、日本教育技術学会理事などを歴任。名古屋大学名誉教授。博士(教育学)。

    コメント
    教育委員会が高校に「『大学への進学準備教育』を優先的に行うことを強い」るのは、なぜなのでしょう?
    • 2012.03.13 Tuesday 23:18
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